食の本だな

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 ここでは海の幸にとどまらず、食と健康に関する本や雑誌をご紹介いたします。

4163557407 美食術
ジェフリー スタインガーテン Jeffrey Steingarten 柴田 京子
文藝春秋 1999-10

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 ハーバード・ロースクール及びMITを卒業した元弁護士のフード・ジャーナリスト、ジェフリー・スタインガーテンのエッセイです。彼は今ではすっかり有名になったフランス・パラドックス――フランス人は高脂肪食品をよく食べるのどうして心臓病の死亡率が低いのか――の原因は赤ワインのポリフェノール、をいち早くアメリカ人に知らしめた人。
本作品で1999年にイギリスの最優秀フードブック賞を受賞しました。第4部 千の食事の旅 の「チェザレ万歳」、「京都の料理」、「ブルー・ラグーンの生物」が勉強になりました。「ブルー・ラグーンの生物」はヴェネツィアのシーフード料理のメニュー解説まであって実用的でもあります。


4413041240 漁師だけが食べている直伝浜料理
野村 祐三
青春出版社 2005-08

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 本書は北海道サケのちゃんちゃ焼きや秋田のハタハタしょっつる鍋、福島のアンコウ鍋、高知のカツオの叩きといったよく知られた郷土料理のほか、鹿児島のイシダイの焼き切りやタチウオの背越し、壱岐のケンサキイカのイカよごしや高知のゴマサバの焼きサバずし、愛媛のクロダイの炊き込みご飯、広島のカキの酒シャブ、南伊豆のカワハギの肝みそ煮、静岡県由比の桜えびの沖上がり、石川県羽咋のイワガキのバター焼き、千葉県勝浦のマアジのさんが、宮城のホヤの酢のもの、ドンコの吸い物、サンマの辛子味噌和えなどなど全国各地の海の幸を用いて地元漁師がつくる浜料理の数々をレシピつきで紹介しています。 


4487795044 いのちの 食紀行
立松 和平
東京書籍 1999-09

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 自然の循環とは食物連鎖が滞りなく働いていることだ。生命の曼荼羅とは、生きとし生けるものにとっては、食の曼荼羅なのである。知床は食の循環がたやすく見えるところだ。人間ばかりでなくあらゆる生物が生きる姿をさりげなく見ることができるのである……。『報道ステーション』の前身、久米宏司会の『ニュースステーション』のリポーターとして名調子を聞かせてくれた立松和平の食に関するエッセイ集です。やはり北海道・知床の話が特に心に強く残ります。バケツ一杯に詰まったウニを一つ一つ割りながら食べる醍醐味。寒風に打たれながら船上で食べるかじかの味噌汁が最も美味いという漁師の話。韓国やインドネシア、シンガポールにも足を伸ばしており、テンペやタフー(豆腐)、バワンメラ(小さな赤タマネギ)などから成るインドネシアのパダン料理――トマトとバワンメラとトラシ(蝦醤)を揚げ、唐辛子を揚げ、そのすべてを石ですり潰して作る、というサンバルの話が印象的です。


B000GFKVQC dancyu (ダンチュウ) 2006年 08月号 [雑誌]
プレジデント社 2006-07-06

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 ダンチュウ2006年8月号は焼肉とタコを大特集。40頁以上にわたる焼肉特集では、シンタマやサブトンなどよく耳にするけど具体的な部位がわからないメニューを詳しく紹介するほか、全国の焼肉・ホルモンの名店を紹介。約40頁にわたるタコの特集では明石と並び称される岡山県下津井のタコ料理を紹介、ほかにも東京のタコ料理の名店、千駄木の「三忠」や世田谷区上馬の「たこ林」、西荻窪の「鮨たなか」を紹介。また、たこ焼き研究の第1人者、熊谷真菜さんの案内でたこ焼きの魅力にも迫ります。大阪北新地の和楽路屋(わらじや)や日本橋の芋蛸(黒戸市場)ほか、大阪、東京の名店を紹介しています。さらに海の幸には欠かせない白ワイン――北海道産の白ワインについても8ページの小特集を組んでいます。


4106452065 輝ける闇;新しい天体
開高 健
新潮社 1992-05

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 『新しい天体』は、役所の余剰予算を発展的(?)に消化すべく美味い飲食店を食べ歩くことになった「相対的景気調査官」が、大阪、神戸を皮切りに松江、北海道、松阪、十和田湖、岡山、鹿児島と全国を駆け回る話です。
 紹介するのは『蛸の壷』の明石焼きに始まり、大阪・道頓堀『たこ梅』のおでんやクジラのさえずり、松江のシラウオやワカサギ、アカガイ、スズキ。北海道・釧路のシャケのルイベや「メフン」、ナベコワシカジカ、東京・四谷にかつてあった高級料亭『丸梅』のヒラメの肝ほか絶品料理、松阪『和田金』の牛肉の網焼き、高知『得月楼』の皿鉢料理、十和田湖の湖畔『和井内ホテル』の山菜料理とヒメマス、盛岡『直利庵』のわんこそば、京都『大市』のフナずしとスッポンスープ、鹿児島・天降川(あもりがわ)の妙見温泉『おりはし旅館』の酒ずし、岡山『初平』の白桃、同じく岡山のママカリ、東京・赤坂のフランス料理屋『シド』のカタツムリやフォア・グラ、イセエビの塩焼き、カエルなどなど。グルメ情報が蔓延する現代からするといささか大仰に過ぎる感じも否めませんが、グルメでなおかつグルマンでもあった開高健の、華麗でなまめかしいまでの食の表現をたっぷりと味わえます。1974年作。
 ベトナム戦争に従軍した際の奇跡的な生還体験をもとにして書いた68年作『輝ける闇』は、毎日出版文化賞を受賞しています。


4101110174 食味風々録
阿川 弘之
新潮社 2004-03

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 阿川弘之氏といえば『春の城』や『山本五十六』や『志賀直哉』などの作品で知られる元海軍中尉の小説家です。この本は阿川氏が2002年に出版した食に関するエッセイ集で、読売文学賞を受賞しました。
 海の幸について綴った文はいくつかありますが、中でも特に印象に残ったのは「鯛の潮汁」。
 私は東京で15年ほど暮らしましたが、東京では鯛を食べたおぼえがありません。食べたかもしれないけど旨いと思った記憶がまるでありません。それが故郷の下関に帰ると、春には週に1〜2度は鯛のあら煮を食べています。老父は「腐っても鯛というけど本当に旨いなあ」と口癖のように言いますし、実際に美味しいのです。特に目玉の周りのゼラチン質はたまりません。ですので、阿川氏の娘さん(というと『TVタックル』にご出演の阿川佐和子さんのこと?)が鯛の目玉が好きだと東京の学校で話すとからかわれたという話を読むと思わずうんうんと頷いてしまいました。ことさらに言うと感じ悪いでしょうが、やはり新鮮で美味しい鯛に恵まれていない東京では、鯛を好んで食べる習慣がないのでしょう。人は美味しいものに当たると何度も食べるようになり、不味いものに出くわすとイヤな記憶として残って次の機会にも食べなくなってしまいます。「明石の瀬戸や鳴門海峡、来島海峡の荒潮で育って身の引き締まった、両手にどつしり載るくらゐの大きさの真鯛が最も望ましい」と言い、谷崎潤一郎の『細雪』に登場する鯛好きの雪子の明石鯛について語る言葉「あの、切り口が青貝のやうに底光りする白い美しい肉の色が眼の前にちらついて来て」を引用するのを読むと、思わず口中に涎が溢れてきます。
 「福沢諭吉と鰹節」では、渡米した福沢諭吉が帰国したら真っ先に食べたいものとして列記した、すずきまたは鯛の潮汁やあらい、鯛と海老と防風の酢の物、ウナギの茶碗蒸しのほかにわさび花鰹節をあげていたことから、「かつぶし飯」――ご飯にかつお節を入れて醤油で湿らせた削り節をまぶして海苔1枚とわさびを添えたもの――の美味しさを語っています。
 「鮨とキャビアの物語」ではステュワーデスから聞いたキャビア寿司の話から、江戸前でまぐろのトロが一躍握り寿司の代表格になった経緯や関東と関西の鮨文化の違いなどについて綴っています。
 ほかにも味の素と酢の相性について語る「味の素」、中国の酔蟹のほかさまざまな蟹の美味さについて書き連ねる「蟹狂乱」などが所収されています。

わが百味真髄 わが百味真髄
檀 一雄
中央公論新社 2006-02
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 10歳のとき、母親の家出によって3人の妹たちを食べさせるため料理づくりを始め、自分で食べるものは自分で作ることを基本にしてそれが放浪癖につながったとかたる「火宅の人」檀一雄による食のエッセイ集です。
 檀の故郷・柳川の沖端川のウナギ釣りについて語った「月明・数珠の子釣りの痛快」やホヤの美味さを紹介する「浴衣の女を想わせるホヤの匂い」、福田蘭堂氏とつくったタイ茶漬けのエピソードをつづった「便器で料理をつくる檀蘭亭」、「太宰治に喰わせたかった梅雨の味」(エツの話)などは、放浪を良しとした豪放磊落な作家がまだ存在していた時代を忍ばせます。

味覚法楽 味覚法楽
魚谷 常吉 平野 雅章

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 大正から昭和初期にかけて神戸に「西魚善」という料亭を営み日本料理教本を数多く手がけた魚谷常吉が学生を前にして語った話をベースとした軽快な食のエッセイ集です。「皮」「骨」「肝」など魚の各部位の美味さについてどの魚が美味いか、どんな料理で食べると美味いかを語っています。 
 有名な美食家の魯山人の弟子として知られ、グルメ番組『料理の鉄人』でレギュラー審査員を務めた平野雅章氏は、魯山人と同じくらい重要な美食家・料理人なのに、現代ではほとんど知られていない魚谷常吉の後半生について後書きで詳しく紹介しています。
 平野氏は昭和55年に「日本料理教本」14巻を出版するために著者の了解を得ようと魚谷常吉の所在を探しますが、著作権台帳でもわからず、編集スタッフと手分けして東京都内や神戸市の電話帳を繰って魚谷姓の人に片っ端から電話し、やっと杉並に住んでいた親戚から魚谷氏が紀州奥の禅寺の住職をしており、十数年前に亡くなったことを知ります。実際に寺を訪ねてみると、魚谷常吉は昭和12年に出家し、和歌山の大仙寺で修行し、昭和16年に檀家7、8軒の貧乏寺・宝光寺の住職になったものの、金銭上のトラブルが原因で檀家とトラブルになり、昭和39年に知人を呼んで遺言を残し、その日のうちに自殺したということでした。




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